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桂才賀師匠は、1980年から1988年まで、笑点の大喜利メンバーとして活躍していました。
しかし、1988年にいきなりの降板してしまいます。
なぜ、桂才賀師匠は降板してしまったのでしょうか?
この記事では、桂才賀師匠が、笑点を降板した理由について紹介します。
桂才賀の笑点降板理由は3つ!原因は司会者との不仲?!

結論から言うと、桂才賀師匠が笑点を降板理由はわかりませんでした。
しかし、桂才賀師匠活動や当時の笑点の状況から以下の3つの降板理由が考えられます。
- 新しい司会者と合わなかったから
- 慰問活動が忙しいから
- 体力面で不安だったから
桂才賀師匠が笑点のメンバーになったのは、三遊亭小圓遊師匠がなくなったのがきっかけです。
三遊亭小圓遊師匠は、1980年に急死しており、報道から2時間後に出演が決定しました。
当時、桂才賀師匠は『古今亭朝次』という名で活躍していました。
桂才賀師匠は、前任の三遊亭小圓遊師匠の後釜らしく、キザなキャラクターを演じ、司会者の三波伸介師匠からは気に入られていたようです。
しかし、まだまだ活躍が期待されていた桂才賀師匠ですが、降板してしまい残念がる視聴者はたくさんいたようです。
新しい司会者と合わなかったから
桂才賀師匠の降板理由として有力なのが、司会者と合わなかったからです。
1982年に司会を努めていた三波伸介師匠が急逝し5代目三遊亭圓楽師匠が司会に就任しました。
しかし、5代目三遊亭圓楽師匠が司会者になってから、いらない子扱いされるようになったのです。
その後、1988年3月27日に笑点を卒業することになりました。
当時の笑点メンバーは以下のとおりです。

圓楽師匠からすれば、小遊三は好楽と入れ替わったばかりで、楽太郎は直弟子、歌丸・木久蔵・こん平は付き合いの長さから降板させにくかったとの見方もあります。
慰問活動が忙しいから
桂才賀師匠は、刑務所や少年院の慰問活動を行っていました。
日本各地を回っていたようで、その忙しさから笑点を降板した可能性もあります。
当初行っていた老人ホームでの慰問では、毎日のように慰問へ向かうようなハードスケジュールだったようです。
刑務所などは、全国にあるため移動距離も長くなり過酷だったのかもしれません。
桂才賀師匠の慰問活動については、こちらの記事で紹介しています。
桂才賀が刑務所を慰問するのはなぜ?きっかけはすることがなかったから!
体力面で不安だったから
慰問活動による体力面での不安もあったのかもしれません。
しかし、笑点初出演が30歳で降板したのも38歳ですから、体力の限界の可能性はなさそうですね。
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